丸うり│合同会社RANRAN 代表社員

みんなで美味しい食事をしながら心の置き場所を作る。そんなコミュニティ作りと、障害者専門の訪問介護サービスを両立。ご自身の体験を活かし、多くの方に喜びと安心を提供するビジネスを展開している。

プロフィール


氏名丸 うり(まる うり)
生年月日1990年12月6日
出身地広島県広島市
所属/役職合同会社RANRAN 代表社員
経歴2013年3月 国立島根大学生命工学科 卒業
2013年4月 株式会社MHBD
2015年4月 合同会社オフィス丸
2024年12月 家庭料理RANRAN 事業開始
2025年6月 合同会社まるか
2025年11月 合同会社RANRAN 設立 代表者に就任(現職)
運営サイト
SNS家庭料理RANRAN(ご飯を皆んなで食べるコミュニティ)https://line.me/ti/g/ZWvNGx_ZMP
メディア実績

 

事業内容


解決している社会課題

  • 食を通じて、人生を豊かにする居場所を作る
    近年問題となっている“孤食”の増加に対して、誰もが集まりやすく美味しい食事をする機会をイベントとして提供するコミュニティ「家庭料理RANRAN」を運営。
  • 障害者専用の訪問介護サービス
    日本で介護を必要とする障害者の方は、高齢者の2倍いると言われ、障害者専用の訪問介護サービス「らんらんケア」の運営を行っている。
  • 介護業界の職場環境の改善
    介護職の待遇上昇のために、雇用体系や賃金面で業界最高水準になるよう経営。業界全体の職場環境の改善を目指す。

提供している商品・サービス

  • 「家庭料理RANRAN」
    ~ただ誰かと、何でもない話をしながら、美味しいものを食べる~ 孤食を無くし、栄養面や素材にこだわった食を提供。心の置き場所になれるコミュニティを目指して運営している。
  • 「らんらんケア」
    障害者の方が、自分の特性と向き合い、個性として生かして、より良い人生を歩めるようにサポート。障害者専門の訪問介護サービスを運営。

実績

  • 半年で100回以上の食事イベントの実施
    家庭料理RANRANでは、約半年間のうちに100回を超える食事イベントを開催。多くの方につながりと安心を与える。
  • WELLNESS LIFE SUMMIT (2025年5月31日-6月1日)
    晴海埠頭公園で開催された身体的・精神的・職業的・知的・環境的に、心身共に充実した状態を求める、機能的に住む晴海らしいイベントWELLNESS LIFE SUMMITに出展。
  • 2ヶ月で11名の雇用
    株式会社まるかにて介護事業の立ち上げおよび管理者を経験。2ヶ月で11名の雇用実績。

 

インタビュー


事業を始めたきっかけ

もともと人が集まって楽しく過ごすのが好きで、私と主人が中心となって10年近い間、自宅や友人のお店をお借りしたりしていろいろなパーティーをしていたんですね。
ずっと、そういう日々が続くと思っていたのですが、2024年末に主人が急に亡くなってしまったんです。
5歳の娘と、私と、急に残されることになり、ショックで何もできなかったのですが、唯一、人に喜んでもらうためのお料理だけはできたんです。亡くなった主人を想っていろいろな方が集まってくれて、その中でお料理を出して、いつも来てくれていた方や、何年もお会いしてなかった方が支えてくださって、ゆっくりではありますが私自身の生きていくことの目的や楽しさを生み出せるようになりました。
その中で生まれたのが「家庭料理RANRAN」です。
私自身、家族らしい家族がいない中で幼少期を過ごして、主人と出会って結婚し、食事を人とすることの楽しさを知りました。ただ誰かと、何でもない話をしながら、美味しいものを食べる。それだけでとっても幸せなんですよね。RANRANは娘の名前から取っているのですが、栄養面や素材にもこだわり、でも何よりも、心の置き場所になれるコミュニティになるよう少しずつ規模を拡大してきています。
それとは別にやっているのが「らんらんケア」という障害者専門の訪問介護サービスです。これは主人が急逝して一人で娘を養っていくのは大変だろうと主人のお友達が提案してくださったもので、私自身、経営者として未熟ながらも社会に役立ちながらお仕事させていただいています。
実際に初めてみて、通常の事業所では1年かけて5~6名を雇用して経営していくところを、2ヶ月で11名の方が働いてくださることになり非常にやりがいを感じています。しかも毎月入社待ちが出るくらい大きな事業所になってきたので、これをもっと大きく伸ばしていきたいと思っています。

事業の拡大方法

家庭料理RANRANは、友人や知人だけでは拡大していかないことが分かったので、名刺交換イベントに積極的に顔を出してみたりもしたのですが、なかなか上手く私のイベントの魅力を伝えることはできず、どうしたものかと悩んでいました。
そこで、思い切って、これまで参加してくださった方に、新規のご友人を招待してくださったら双方を1000円引きにします!というキャンペーンを作って告知してみたんです。さらに、5000円のパーティーだったら、新規の方を5人招待してくださったら全員を無料にするという赤字覚悟のキャンペーンなんかもやってみました。
これらには賛否両論ありましたが、結果的にコミュニティは順調に伸びていきました。誰かに食事会に誘われる方ってみんな優しくて良い方ばかりで、そういう方ばかりが集まるコミュニティって他にはないんじゃないかなと思っています。
らんらんケアの方は、働いてくれる人の確保が重要なビジネスで、私が運営するコミュニティの中から人材を確保しているので、非常に順調に伸びています。先ほどお伝えしたように、通常1年かかる求人も2ヶ月で倍の数を確保してしまいました。コミュニティとらんらんケアの相乗効果でこれからも事業拡大をしていけそうです。

事業にかける想い

誰かと、なんでもない話をしながら、笑って食事をとる。
それは、私が主人と出会うまで、経験したことのない体験でした。
それまでの食事は、ただ、生きるのに必要なものを義務的に取るだけでした。
それが一変して、高級レストランから立ち飲み屋、ぬるいカップラーメンまで、それ以前のことが思い出せないほど、どれでも、全部違って、全部最高に美味しいのです。
1つ1つが思い出せば笑って、人生の幸せを噛み締められるような、そんな体験でした。
そんな、ただ義務的にとる食事ではなくて、誰かと、思い出を共有しながら、楽しかった、またしたいなと思える食事会にしたい、そんな想いで家庭料理RANRANの事業を運営しています。
主人も発達障害で、出来ることと出来ないことの差が激しく、普通の人の生活は難しかったです。
それでも、持てる才能を生かして、最後の最後まで、私の前ではかっこいい男の人でいました。
人は大小なりとも個性や特性があり、それは目線を変えれば良いことにも良くないことにもなるものです。
ご利用者様はもちろん、働いてくださる方も、個性や特性を受け入れ、活かし方を一緒に考えていき、より豊かな人生を送れる手助けをしたい、そんな想いでこの事業を運営しています。

目標や夢

家庭料理RANRANでの目標は2026年までにコミュニティ参加人数1000名、有料会員様100名です。
始めて半年経って、現在コミュニティ参加者様200名、有料会員様10名ほどのコミュニティになってきました。
まだまだルールや共通認識、企画の改善の余地の多いコミュニティですが、良い方ばかりが集まって下さって、私自身も楽しく過ごせるので、今あるものを大切に、伸ばしていけたらと考えています。
私自身の夢は主人のお骨を持って、メキシコでタコスの食べ歩きをすることです。
主人の会社はイベント関連だったので、コロナの影響を受けて、経営状態が傾き、毎月、あと5000円足らなかったら夜逃げしないと、という状態を4年近く続けていました。
そんな状態でも、主人はタコスが好物だったものですから、”この大変な状態を切り抜けれたら、一緒にメキシコでタコスの食べ歩きをしよう”と話していました。
私も主人も、大変な中でも、そんな未来が来ることに疑いもなく、毎日、精一杯仕事をしていました。
主人が急死し、何もかもがどうでも良くなっていく中で、主人のことをメキシコに連れて行ってあげたいという想いだけが残りました。私が今、事業に全力をあげるのは、主人をメキシコに連れて行ってあげたい一心です。
いつか来る私の終わりに、地獄でも天国でも、主人の元に帰れたら、いかに私が主人のことを愛していたかを伝えたいと考えています。

座右の銘や好きな書籍など

好きな書籍はフランス文学の「マノン・レスコー」です。
まだ女性の人権の乏しい時代に、たった一人で生き抜いたマノンという女性の物語です。
最後にこの女性は、自分の側にずっといてくれた男性の傷の手当てをしながら、亡くなってしまうのですが、こういう死に方を、したいなと生きています。
私にも家族らしい家族は居なくて、主人は生まれて初めて出会った、私の家族だと思える人で、出会ってから10年間一緒にいるのが当たり前で過ごしてきました。
しかし、急に亡くなってしまいました。主人が亡くなった日は、私の誕生日を祝おうとしていた日でした。
朝は娘とお菓子を作って、お昼は主人の好物であるタコスを食べ、一緒にコーヒーと頂き物のチョコレートを食べました。
夜に、私の好物のパンを焼くために捏ねている時、急性大動脈乖離で亡くなりました。
健気な人でしたから、最後まで私に心配をかけないように、激痛の中で歩いて玄関まで行きました。
どんどん状態が良くなくなる中で、主人が最後に見たのは、死なないでと泣き喚く私でした。
28歳年上の主人でしたが、私の方が体が弱かったものですから、私は自分の人生の最後に、この人が泣いてくれたらいいなっと考えて、主人宛に遺書まで書いていました。
そうでない人生を歩むようになった中で、最後まで生き抜いたマノンのことを良く思い出します。
どんな逆境でも、自分という人間を貫き、大切な人の元で人生を終わる。
そんな、マノンのような人生を、これから送れたらと考えてます。

他の経営者様へのメッセージ

コミュニティ運営や福祉会社の運営にご興味がある方は是非お声がけください。
私も経営者として殆ど駆け出しの状態ですから、皆様のご経験のお話を伺えると嬉しいです。

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